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(その2)
前回、ウソを書いてしまいました。愛貧が始まったのは1998年でした。1999年は「明楽」が出演した年です。
ちなみに、1998年と言えば、私が単身中国に乗り込んだ年。何もわからず夜の上海に到着。いきなり冒険が始まったのでした(詳細は略)。
ついでに思い出しましたが、その旅立ちの朝、交通違反をしてしまい、ゴールド免許を失いました。そして、いまだにブルーのままです(笑)。
さて、TAVECさんの掲示板の常連となった翌年のこと。突然エムせがわさんからオフ会に誘われました。
大阪豊中あたりで集合。来るはずだった「たばさ」さんという女性が欠席し、結局エムせがわさんと私、あと友人のH・O・YAJIさんの3人。
たくさんのお店を回りました。明蘭、くろき亭、七喜、達人店の青い麦も行きましたっけ? 最後に福扇にも寄りました。
おかげで、自宅近所の明楽くらいしか行ってなかった私が、それ以後、いわゆる「愛貧店めぐり」を始めるのです。
それも、そっと行って食べて帰るのではなく、店主と話していろいろ取材をするようになりました。
当時、それが「アクロバッティブな訪問」と呼ばれて、愛貧ファンのみなさんに影響を与えた模様です。
私が知りたかったのは、どこまでが「ヤラセ」で、どこまでが「ガチンコ」だったのかです。
たまたま仕事が楽な時期だったので、休みの日ごとにあちこち回りました。人生においても幸せな時期だったように思います。
ちなみに、H・O・YAJIさんは、今年大阪のビジネス街にレストランを出店。でも、半年で閉店してしまいました。
せっかく愛貧を見ていても、きちんと学んでいなかったのでしょう。私は、一生懸命警告したんですけどね。
愛貧は、いろいろな意味で本当に勉強になる番組でした。個人的にも多くの達人やご主人たちから、さまざまなことを教えていただきました。
……1999年と言えば、「料理の鉄人」が終わった年ですね。その後、何回かスペシャルがありましたが。
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