愛の貧乏脱出大作戦という番組

Sep 19, 2016

愛の貧乏脱出大作戦は、その後のいくつかのテレビ番組に影響を与えた番組だと思っています。そして今でも世界で通用する番組フォーマットだと思っています。たとえば発展途上国やスラム街を持つ国などで放映されたら面白いと思います。

その普遍性は、どこからくるのかを考えた場合、やはり実在する店舗をターゲットにしているからだと思うのです。実在する店舗、実在する店主、実在する達人。実際に食べにゆくことによってそれを自分の目や舌で確認できること。これはいつの世でも普遍的だと思います。

ジャーナリズムというものの原点は、正義を語ることではなく、真実を見て伝えることだと思います。愛の貧乏脱出大作戦は、とても単純な形で真実を見るということが

人はそれぞれ弱いもので、テレビは貧乏店主のことを、グズだったり間抜けだったりと演出を含めて誇張して放送するけれど、店主に会ってみると、それはどこにでもいる普通の人だったりします。つまり普通の人と達人の差は紙一重なんだろうと思うのです。放映から15年以上が経って今なお繁盛している愛貧出演店を見ていると、そういう思いを強くしています。

残念ながら、TV番組の放送倫理や個人情報の扱いについて厳しく言われるようになってしまった現在では、全く同じ番組をすることはできないでしょうし、放送したとしても時代錯誤の番組になってしまうでしょう。

また、番組そのものはドキュメンタリーとして見てしまうと違和感があります。むしろ、台本が存在する素人参加型のフィクションといったほうが良いでしょう。本人がいくら真面目に頑張ったとしても、編集のマジックであらかじめ局側が設定したキャラクターに仕立てあげられてしまう傾向があります。自尊心の高い人が修行した場合は、それが耐えられないこともあるでしょうし、思い出したくない嫌な思い出として残ることもあります。愛貧店に出向くと、みのもんたのサイン色紙が掲げられている場合もあれば、番組を匂わすものがまったくない場合もあります。

しかし、どのような結果になったとしても番組に出演した店主の人生は続くのです。店主は「できない」と思うことに立ち向かわなければなりません。困難を抱えている経営者や店主にとって「できない」と思うことに立ち向かう勇気や努力というのは普遍的に必要なんだろうと思います。

そして、これは私の主観ですが、修行を通じてそれなりに頑張りや立ち向かう覚悟が伝わってきた店主は、番組放映時の扱いもまたそれなりに優しいものになっていたように思います。この番組には、人間の弱い部分やできない部分、格好悪い部分を放送する際に、ダメ男、ダメ女と一刀両断にして、人を蔑むような表現に陥る危険があります。実際、放送回によっては、そういう視点がきつくて、みていられないものもあります。

愛の貧乏脱出大作戦の最大の味わいは、編集の中に潜んでいると思います。ダメだけど家族のために頑張っている姿が見えるとか、とうてい無理な修行にもかかわらず、とても純粋な気持ちが台本を超えて見えるときは、現場ディレクターやカメラマン等を通じて編集に反映され、そして視聴者に伝わってくるのだと思います。