愛貧フリークの心の変遷

愛貧フリークには、のめり込む過程でいくつかの心の変化が訪れます。

STEP1 訪問期

愛貧フリークはまず最初、あのお店が今どうなっているのか、とドキドキワクワクしながら訪問するという時期があります。

番組放映当時から、遠いところから訪問している愛貧出演店巡りをしている人が数人いたようです。複数の店主に話を聞くと、その人たちの風貌や行動などだいたい同じで、ピークが過ぎても遠方からでも同じお店に何度も足を運んでくれる常連さんでもあったそうです。愛貧店が次々閉店してゆく中、達人店に行ってみることも楽しみの一つとなります。

STEP2 裏話確認期

次に訪れるのが、あの修行はヤラセだったのかどうか、などを確かめたくなるということです。

愛貧店を訪問するとわかりますが、みのもんたの写真やサインを掲げているところもあれば、愛貧に出たことを黒歴史のように捉えて封印しているところもあります。つまり店主がTV番組におもちゃにされた、と感じているお店があるということです。番組が続いていたころから、番組の演出・ヤラセの有無についてはいろいろ噂出ていました。ある程度お店に行くことに慣れてくると、達人や愛貧店主を訪ねてその噂を確かめたくなる時期がやってきます。当時、ドキュメント・バラエティ全盛期で、愛の貧乏脱出大作戦と共に人気のあったTBS系のTV番組「ガチンコ!」などは、写真週刊誌に台本がすっぱ抜かれて終了することになったり、TVメディア自体が問題をかかえていました。

愛貧もまた、実際はどうだったのかを聞きたくなるのが裏話確認期というわけです。

実際に話を聞いてゆくと、一律にこうだった、ということではなく、放映時期や、担当ディレクターの編集や演出手法などにより、その「ヤラセ」の度合いが異なっていたようです。あるいは、たいして貧乏で困ってはいなかったけど、番組に請われて出演した人もいれば、借金総額XXX万円というけれど、結構水増し金額で書かれていたという人もいます。

逆にTV出ることが好きな店主もいます。愛貧だけではなく地元のTV番組に出演していたりする店主も若干ながらいました。

STEP3 愛貧店支援期

愛貧店主と顔見知りになり、番組演出の度合いがわかるようになると、店主から、「この先どうしたらいいのかなぁ」という感じで相談を受けることがあります。TVで苦労している様子を見て、訪問したお店の様子を見れば、繁盛していないことはなんとなくわかります。で、ちょっと手を貸してもいいかなぁと思ったりするわけです。

たとえば番組終了間際の2002年頃であれば、インターネット販売が盛んになってきた時期で、いくつかの店主からネット販売について半分冗談交じりで相談を受けたことがあります。当時の私の答えは「ネット販売は想像以上に手間がかかるので、近くに詳しい人がいないならやめた方がいいですよ。」という感じでした。

STEP4 達観期

上記のような過程を経ると、裏話にも飽き、愛貧店主とも距離を起きたくなります。その上で、番組をもう一度見直して、演出の中に埋もれがちな、達人が伝えたいことは何だったのか、そもそも市場的にこの場所で営業するにはなにをどうすれば良かったのか、ということを考え始めます。Google Mapsを見ながら近隣の客層等を想像したり、近隣の店舗の家賃を調べたりして、どういう料理でどう勝負したら良かったのか、を考えてみたりします。

また、お店に未練があってお店を辞めきれない人にとっては、愛貧に出ての閉店は、ある意味正しい決着の付け方だったように思います。番組で修行し、沢山お客が来たのにもかかわらず、結局もとに戻ったということを客観的に理解できれば、もうお店はやめようと踏ん切りがつきやすいものです。愛貧店が閉店してしまうのは残念なことですが、ある程度借金を減らしたうえでの撤退であれば、それはそれで良かったのではないでしょうか。

こういう心理状況に到達することを、達観期と呼びたいと思います。

幻の「ペンキ屋」の回

2002年05月06日放映の、抜き打ちチェック拡大スペシャル第20弾では、次週予告でペンキ屋修行の予告が流されていました。当時見ていて「食べ物屋さんじゃ無い!」と思ったので間違いありません。しかし、翌週はカフェFUNの放映でした。放映1週間前に何があったのでしょうか?

番組の性質上、きっと放送できないものがいくつかあったに違いありません。放映までにお店が潰れてしまったということもあったのでしょう。

やらせと演出

もう20年近く昔のテレビ業界の話ですから今のようにコンプライアンスとか個人情報を細かく言うような時代ではありませんでした。当然そこにはバラエティ番組として面白くしようとするテレビ側の「演出」が入ってきます。そのため、愛貧のお店めぐりをしていると、ご主人の口から「やらせ」や「演出」の話が出てきます。これはお店めぐりをする楽しみの一つでもありました。

たとえば、番組にはご主人や達人が泣いたり怒ったり切れたりする場面が頻繁に登場しますが、達人も修業人も普通のことではそうそう腹を立てたりしません。そこで番組側のスタッフは、感情をあらわにさせようとあの手この手で「演出」をしていたようです。もちろん番組には台本があり、達人側はもちろん、場合によっては修業人の手にもわたっています。

番組は達人に対し、修業人に無理難題を仕掛けるようにけしかけます。たとえば、ほかのことで弱音を吐いた修業人のコメントを撮影して切り取って編集し、あたかも達人への悪口や、修業に対する不平不満のように見せかけ、それをこっそり達人に見せて達人を激怒させるというやり方もあったとかなかったとか。

従順な修業人には「ここで修業を投げ出してください」みたいに演出をお願いしていたといううわさもあったりなかったり。ある修業@沖縄では、ご主人が番組の「やらせ」に激怒して帰ってしまい、それが番組では修業投げ出しのように扱われていたり。また、逆に番組ではかなり険悪な達人VS修業人であっても、実際はしっかりと信頼関係をもって修業している場合もあります。

2001年頃には、週刊実話に男女7人同時修行のおっかぁが、取材の状況について取材に応じています。もともと20代の息子が修業するはずだったのが、交通事故に遭って母親が代理に出演することになったという。その記事では、カメラが回ってないところで達人の弟子達に「お前らは横から技術を盗んでいく」などとなじられたとか、 リタイアしたときに持ち合わせがなくしかも都内の集合場所から遠く離れた地での修行だったのに、元の集合場所までの交通費を支給してくれなかったというような話が載っていたらしいのです(残念ながら、まだ実物を読んでいません)。

ただ、寝るとき以外はカメラとマイクが付いて回ったというのは本当のようですし、起きている間はずっと働きづめで睡眠は3時間程度だったとか、食事も満足に食べさせてもらえず、夕方に一膳飯と汁物と魚一切れだったというので、60歳を過ぎた人には過酷だったのはたしかだったかと思います。

一方で、たこ焼きの達人「ひっぱりだこ」の揚野氏は、たこ吉修行のリストラサラリーマンに対する苦情を述べた中で「尚、今回の取材および放映に当たっては一切の虚偽がなかったことを達人本人が証明致します。そういうのがキライな私はスタート前に製作会社に対し(一切のやらせ、強要はせず貴社中心の取材といたします。)と念書をとったぐらいですから・・・」と書いています。

あくまで私の主観ですが、達人がTVでの宣伝効果を狙ったり、修行人を嘲り笑うようなスタンスで修行人に対応したという例は無いと思います。あるとすれば台本を書いた番組側が、現場でできる範囲で「演出」していたということではないかと思います。




伊藤Pのモヤモヤ仕事術という本があります。伊藤Pこと伊藤隆行さんは、テレビ東京の名物プロデューサーで、ディレクターデビューが愛の貧乏脱出大作戦だったそうです。この本の中に愛貧はヤラセか演出か、という問に対する制作側の答えがあります。


達人 竹麓輔と「むつみ屋」

ヒロシ、コンちゃん、パパのラーメン3人修行は、愛貧の名作でした。

厳寒の北海道月形町でスープづくりで失敗を続けるヒロシ、そのヒロシがうまくいきかけたときに失敗して修業を放棄すると言いだしたコンちゃん。スープを台無しにしてまでコンちゃんを止めるヒロシ。ヤラセや演出では無い迫力がありました。

さて、その修業の場となったのが、むつみ屋の月形本店でした。

当時むつみ屋は、地元の新聞のラーメン大会で優勝するなどして、フランチャイズ化を推し進めようとしていた時でした。月形本店の横には大きなスープ工場を建設したばかりで、右肩上がりだったと思います。私も一度、月形本店にラーメンを食べに行ったことがあります。都会と違い、店員さんは良くも悪くものんびりしていて、内心、気が利かないなぁと感じたりしていました。

そんなむつみ屋ですが、2000年から5年ぐらいでフランチャイズ形式で急拡大します。

  1. 1987年ごろ ラーメン「蔵屋」を友人と共同経営
  2. 1996年12月 月形町にむつみ屋を開業
  3. 1997年   道新スポーツ あなたが選ぶラーメン大賞 むつみ屋が選ばれる
  4. 2000年2月  貧乏脱出大作戦ラーメン3人修行放送
  5. 2000年6月  ハートランド設立
  6. 2004年   年商41億円。直営とフランチャイズ合わせて150店舗超
  7. 2012年   赤字8億円。銀行が不動産差し押さえ。資金繰り悪化
  8. 2013年11月 自己破産。負債総額約15億
  9. 自己破産と同時に、YCP Retailingがむつみ屋の商標権、FC権を持ち、現在に至っている。ここには、ラーメンぷぅ(これも竹麓輔のチェーン店)の他、都内の小僧寿し路面店9店舗等を運営している。
  10. 全国に80店ほどある「むつみ屋」のどれぐらいがそのままチェーンとしてやっているのかよく分からないが、それなりに存続はしているようだ。
竹麓輔と検索しても、昔の情報ばかり。今、どうしておられるのだろうか。


愛貧店あるある

番組にはいろいろな愛貧店が出てきますが、回を重ねてくるとだいたい貧乏店のパターンが見えてきます。

  1. お店が汚い
  2. メニューが増殖する
  3. 修行せず我流
  4. 素直じゃない
  5. 冷凍や出来合いの材料を使う
  6. 基礎体力が無い

おおよそこんなところでしょうか。

お店が汚いにもいろいろあり、掃除する習慣ができていないというパターンの他に、自宅の延長のようにいろんな小物を置きたがるというのもあります。実際、愛貧店に食べにゆくとレジ回りとか窓辺など、ちょっと隙間に食玩のおまけだったり、どこかの郷土土産だったり、そういうものをチマチマと並べていることがよくあります。職場だという概念が薄いんでしょう。

お客が来ないのでどうするかというと、おいしいメニューを工夫するのではなく、メニューを増やす方に展開してしまうのがありがちなパターンです。常連さんが増えてくれるのであればそういう居酒屋もありだと思うのですが、やはりおいしくなければどうしようもありません。

もう一つの方向は、冷凍食材や、出来合いの食材で対応してしまうというものです。たとえばそこいらのコーヒーショップであれば、仕入れのコーヒー業者がカレーでもピラフでもどんな食材でも調達してくれます。でもコーヒーショップで超絶おいしいカレーは求めません。でもカレー屋のカレーはきちんと作ってほしいところです。うどんやそばの修行は麺づくりから始めますが、自分が汗をかいて原料から作ることにより利益率も上がり、経営も安定します。

ただ、愛貧店の店主はお店での本格的な修行経験がないので、体力がありません。仮に客が大量に来たとしても足腰を傷めるんじゃないかと思います。

そもそもの話で、料理そのものにあまり興味が無い人が修業する場合があります。おいしいものを食べてもらいたいと思って作っているのか、工夫する意欲はあるのか、そういうあたりはカメラを通じて放送ににじみ出てくるものだと思います。そして何より達人が叱るのはそういう精神なんだと思います。

愛貧店が修業をして再出発するわけですが、多くのお店はうまくいかずにつぶれてしまいます。

ブームが去った愛貧店で話を聞くと、テレビを見た人が殺到する→常連さんの足が遠のく→ブームが去る→常連も戻ってこない、というパターンが多いようです。

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